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ヒューマン法律事務所 神谷誠人ブログ

2015年 謹賀新年

明けましておめでとうございます。

本年も,よろしくお願い申し上げます。

2014年を振り返って,個人的な10大出来事を考えてみました。

◎ 2014年 10大出来事

第1位 辺野古移設反対の首長,次々と当選

1月19日の名護市長選では稲嶺進氏,11月16日の沖縄県知事選では翁長雄志氏,と,いずれも普天間基地の辺野古移設に反対する候補者が当選しました。沖縄県民の郷土の自然と平和を守るという決意を結実することができるのか?沖縄だけでなく,私たち全国民が問われている問題です。

第2位 神美知宏全療協会長・谺雄二全原協会長 逝く

5月,ハンセン病療養所入所者の人として生きる権利の回復をめざす活動の先頭にたって闘ってこられたお二人が相次いで亡くなられました。ご冥福をお祈り申し上げるとともに,お二人の遺志を継ぐ責務が私たちにはあります。

第3位 仲井間清氏(第1次嘉手納基地爆音差止訴訟原告団事務局長)逝く

11月,第1次嘉手納基地爆音差止訴訟の原告団事務局長であった仲井間清さんが亡くなられました。仲井間さんがおられなければ,今の第3次訴訟はありませんでした。仲井間さんのご葬儀の最中には,頭上を何度も米軍機が爆音を轟かせて飛行し,その度に読経が中断したそうです。本当に安らかに永眠していただく日を実現するため,まだまだ頑張らなければなりません。

第4位 川島保さん 逝く

8月,長島愛生園を退所(社会復帰)し,大阪で暮らしていた川島保さんが亡くなりました。飄々として,周りの人をほのぼのとさせるお人柄でしたが,新良田教室の1期生,ハンセン病国賠訴訟・長島愛生園原告第1号,熊本判決後の社会復帰者第1号と,静かな闘志と勇気を持った方でもありました。本当に惜しい方を亡くしました。合掌

第5位 厚木基地騒音差止訴訟で,自衛隊機飛行差止判決

5月,横浜地方裁判所は,厚木基地騒音差止訴訟の行政訴訟において,深夜早朝の自衛隊機の飛行差止判決を下しました。1981年の大阪空港公害訴訟の最高裁判決以降,いわば聖域化されてきた飛行差止の壁に大きな風穴を開けた判決です。残念ながら,米軍機の差止は認められませんでしたが,大きな前進であることは間違いありません。

第6位 ハンセン病療養所退所者給与金受給者遺族支援制度の法案成立

11月19日,ハンセン病療養所退所者の遺族配偶者等の経済的支援創設に関する法案(ハンセン病問題の解決の促進に関する法律の改正案)が成立しました。突然の解散劇で,成立が心配されましたが,金子やすし衆議院議員(自民),同たまき雄一郎衆議院議員(民主)をはじめとする超党派の議懇プロジェクトチームの方々のご尽力で,滑り込みセーフで国会通過と相成りました。この問題は,舛添厚労大臣時代から取り組んできた課題で,足掛け6年でようやく成就したものです。これで,私自身が関わって創設された社会生活支援制度は,退所者給与金制度,退所者慰労厚労金制度,非入所者給与金とともに4つ目となりました。少しは自慢していいのでしょうか?

第7位 「ハンセン病絶対隔離政策と日本社会(無らい県運動の研究)」発刊

5月,内田博文法学教授,徳田靖之弁護士を共同代表,藤野豊教授を事務局長とする無らい県運動研究会は,「ハンセン病絶対隔離政策と日本社会(無らい県運動の研究)」(共著)を発刊しました。そうそうたる執筆陣の中で,何故か私も駄文を掲載させていただいています。

第8位 大阪弁護士会・ADR推進特別委員会の副委員長に就任

委員会参加3年目の私が何故か,副委員長に指名されました。担当は,医療ADRを中心としたADR運営の改善・充実の部会です。利用しやすく,かつ迅速・適正な解決を図ることができる医療ADRを目指して,奮闘中です。

第9位 外島保養院の歴史をのこす会設立

大阪の西淀川に建設され,室戸台風で196名の犠牲者を出し,壊滅した外島保養院の80周忌慰霊祭が9月行われました。これに合わせて,「外島保養院の歴史をのこす会」が発足しました。外島保養院を設立した2府10県(大阪,京都,兵庫,奈良,滋賀,和歌山,三重,岐阜,福井,富山,石川,鳥取)で活動する支援者・支援の会が参加してくれています。多数の風水害犠牲者を出したことも,大阪で再建が許されなかったことも,地域の偏見差別がもたらしたものです。自分たちの住む地域に療養所が無いことの意味と反省・責任をこの会の活動を通じて勉強し,訴えていきたいと思います。

第10位 初の最高裁弁論

1月,弁護士歴27年目にして,初めて最高裁での口頭弁論を経験しました。事案は,2002年に破綻した相互信用金庫の出資者が出資相当額を損害賠償請求した事件です。私は,補助参加人・預金保険機構の代理人として関わりました。1審では相互信金側が勝訴したものの,2審では逆転敗訴,結局,最高裁でも敗訴という結果でしたが,最高裁の法廷に入れただけでもいい経験となりました。しかしいつも感じるのですが,「要塞」のような最高裁を何とかガラス張りの建物にできないかと思うのですが・・・

◎ 2015年はどうなるか

2014年を振り返ってみて,相変わらず,嘉手納基地訴訟とハンセン病問題が活動のほとんどを占めていることに,自分自身,驚いています。

そして,訃報が3つも入っているという悲しい年でした。

それでも,何か次の時代につながる息吹を感じる出来事がいくつもあった年だったように思います。

2015年は,この息吹を,確かな形にし,少しずつでも成長させなければなりません。

今年(2015年)は,

・ ヒューマン法律事務所に新たに青砥洋司弁護士の参加

・ 鳥取・非入所者遺族国賠訴訟の結審,そして判決

・ 第3次嘉手納基地爆音差止訴訟の集中証拠調べ・検証と結審

が予定されています。

長年取り組んできた事件が,大きな山場を迎え,また一つの転機が訪れる予感のする年になりそうです。

全ての事件に対して,全力を尽くし,悔いをのこさぬ1年にしたいものです。

本年もどうかよろしくお願い申し上げます。

「ゆくし」年、くる年-2014年

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

2013年はどんな年だったのか?

2013年という年を漢字で表すと「輪」だそうです。
しかし、何かしっくりこないものがありました。
プロ野球では統一球問題、飲食業界では一流ホテル・レストランの食材偽装問題。
政治に目を向けると猪瀬都知事の「5000万円借入」問題。
そして、沖縄では「普天間基地県外移設」を公約として当選した沖縄県選出自民党国会議員の公約撤回に加え、仲井真沖縄県知事の辺野古埋立て承認。仲井真県知事に言わせると「埋立ては承認するが、普天間基地の県外移設は主張する」「公約を撤回したわけではない」という、私の頭では到底理解のできない説明でした。
年末に聞いた、前泊博盛・沖縄国際大学教授の話では「『抑止力』を見た人はいない。抑止力は『ゆくし力』だ。」とのこと。沖縄の方言で「嘘」のことを「ゆくし」というのだそうです。
確かに10人くらい集まると、「幽霊を見た」という人は1人くらいはいるものですが、「抑止力を見た」という人はまだお目にかかっていません。
けれども「日米関係の強化は抑止力にとって必要」という理由で、特定秘密法、辺野古埋立てが、多くの市民の反対にもかかわらず強行されたのが、2013年です。
まさに、2013年は「嘘がまかりとおった年」、「ゆくし年」でした。

2014年はどんな年になるのだろう?

威勢のいい言葉や目先をくらますような言辞でコーティングされた「嘘」にごまかされず、「本質」を見抜き、「真実」を追究する目を持ちたいものです。
「本質」とは何だろう?「真実」とは何だろう?答えは簡単ではありません。
しかし、自分を生み育てた自然を守りたい、大切な肉親・友人を奪った戦争を二度と起こしたくないと、時には体を張って、叫び続ける人たちの声には心を揺さぶられるものがあります。
そこには、人としての本質があり、守るべき真実があるからではないのでしょうか。一人一人の真実を求める叫びが、大きな波動となり、いずれはこの社会を覆っている「虚像」を打ち砕いてくれると信じています。
2014年、少しでも「真実」に近づくことができる年にしたいものです。

 

 

 

2013年を迎えて

2013年を迎えて

新年、明けましておめでとうございます。

今年も皆様にとって、幸多き年でありますよう心より祈念いたします。

 

■ スーティーブン・ホーキング博士の言葉

去年一番心に残った言葉は、ロンドン・パラリンピック開会式におけるステーブン・ホーキング博士の言葉でした。

 

「知識における最大の敵は無知ではなく、知っていると錯覚することだ」

「人は皆違い、〈基準〉や〈普通の人間〉などというものはないが、人としての魂は同じように持っている」

 

これらは、各紙やネット上に掲載されていたものですが、なぜか、この言葉 に強く胸をうたれました。

 

■ 「驕り」からの解放

今年4月で私も弁護士経験丸25年を迎えようとしています。

弁護士登録以来、ずっと取り組んできたのが、沖縄の嘉手納基地騒音差止め訴訟です。一次訴訟の途中から参加し、既に三次訴訟に入っています。

長年、嘉手納爆音差止め訴訟を通じて沖縄に関わってくると、あたかも自分が沖縄のことや、原告の気持ちをわかっているような気になってしまいます。

ところが、昨年、私は自分の頭を強く殴られるような衝撃を受けました。

それは、被告である国が「被害甘受論」を主張してきたことに、自分自身が何の反応もできなかったことです。

この「被害甘受論」とは、こういうことです。

「米軍機騒音の激しい地域には、移転補償費を提供して、移転を勧めている。にもかかわらず、移転を拒否して騒音地域にとどまっている原告は、騒音被害を甘受すべきである」

 

もともと嘉手納基地が建設された地域は、住民が住宅地・農地として所有・使用していた場所です。そこに、戦前日本が半ば強制的に土地を接収し「中飛行場」を建設、その後、沖縄上陸戦と戦後、米軍が「中飛行場」を占領し、さらにこれを拡大してできたのが、現在の嘉手納基地です。

嘉手納基地周辺に住む人達は、奪われた土地や元の故郷を求めて、嘉手納基地周辺に住んでいるのです。後から基地を建設し、そこで騒音をまき散らしているにもかかわらず、以前から住んでいる人に「うるさければ出ていけ。出て行かないなら我慢せよ」というのが国の「被害甘受論」の本質です。

これは全く許されない理屈です。沖縄の基地建設の経緯、そして基地周辺に住む人々の気持ちを理解していたならば、当然、「何を言ってるんだ!」と怒りを覚えたはずです。

ところが、私は、この「被害甘受論」を訴訟上の一主張として、読み流していました。しかも、この「被害甘受論」は、二次訴訟でもなされていた主張でした。

今回は、地元紙「琉球新報」の記者と、三次訴訟から加わってくれた沖縄の弁護士が気づいてくれたため、原告とともに反論と抗議を法廷で展開することができました。しかし、2度までもこの問題性を見過ごしてしまった自分を深く恥じました。「知っていると錯覚する」ことの恐ろしさを痛感しました。

「驕り」からの解放にむけて、歩まねばならないことに気付いたのです。

■ 「闘う」ことは美しきかな

昨年末に訪れた沖縄ヤンバルの辺野古と高江にも新たな発見と感動がありました。

深い山と森林、その裾に広がる青い海がある辺野古、様々な貴重な動物が棲み、木々の香りと清流に恵まれた高江。全てのいのちを生み、育んできた自然がありました。

昼食をとった高江の「カフェ山甌」では、穏やかな笑顔の奥さんと、人懐こい無邪気な子どもさんが迎えてくれ、木々と清流が放つ清々しいイオンを感じながら、美味しいチキンカレーをいただきました。

http://www.mco.ne.jp/~yamagame/hello/hello.html

ここの経営者ご夫婦は、高江ヘリパット建設に反対をしていますが、国は反対運動を潰すために、このご夫婦だけでなく、10歳の娘さんまでも「債務者」に仕立て上げ、妨害禁止の仮処分を提起してきました。

自分の人生と命をかけてでも、ヤンバルの自然と人を守るために座り込みと工事監視行動を続ける辺野古や高江の人たちの「魂」に感銘を受けつつ、その「魂」を「本土政治の理屈」で圧殺しようとする権力の横暴さに改めて怒りがふつふつと湧き上がることを禁じ得ませんでした。

「闘い」の渦中にあるのは、沖縄だけではありません。

ハンセン病回復者も、まさに「闘い」の渦中にあります。

人員削減計画により介護員・看護師不足にあるハンセン病療養所の在園者の方たちは、老後の安心どころか、人としての尊厳すらも奪われつつあります。在園者の平均年齢は82歳を超えるにもかかわらず、全国ハンセン病療養所入所者自治会協議会(全療協)は、この現状を打開すべく、ハンガーストライキを決議しました。命がけの抵抗をしなければ、自らの尊厳を守れないほど追い込まれているのです。

また、関西退所者原告団・いちょうの会も、医療・介護・生活といった社会の隅々まで、未だ根強く残る偏見差別をなくすために、自らのハンセン病歴を明らかにし、「語り部」となって啓発活動を続けています。偏見差別をなくすためには、偏見差別と闘うしかないのです。

しかし、その闘う姿は、闇夜に静かに燃える炎のように、美しく、そして、何よりも私に勇気を与えてくれます。

沖縄やハンセン病回復者に対する「同情」や「憐憫」という感情は、もはや誤りであることに気付かされます。

 

■ 己との闘いの年に

もし、弁護士生活を50年間続けることができるとすれば、丸25年を迎える今年は、ちょうど折り返し地点にあたるのでしょう。

25年の弁護士活動で積み上げてきた経験・実績には、それなりに自負があります。しかし、その自負が「驕り」や「惰性」になったとき、大切なものを見失い、惨めで寂しいものになってしまうのでしょう。

「知っていると錯覚する」過ちを犯さず、全ての人に「輝く魂」があることを忘れないことを、ホーキング博士の言葉は教えてくれたのでした。

今年は、新たに「己との闘い」の年としたいと決意しています。

 

2013年1月1日 弁護士 神谷誠人

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