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2013-01-01

2013年を迎えて

2013年を迎えて

新年、明けましておめでとうございます。

今年も皆様にとって、幸多き年でありますよう心より祈念いたします。

 

■ スーティーブン・ホーキング博士の言葉

去年一番心に残った言葉は、ロンドン・パラリンピック開会式におけるステーブン・ホーキング博士の言葉でした。

 

「知識における最大の敵は無知ではなく、知っていると錯覚することだ」

「人は皆違い、〈基準〉や〈普通の人間〉などというものはないが、人としての魂は同じように持っている」

 

これらは、各紙やネット上に掲載されていたものですが、なぜか、この言葉 に強く胸をうたれました。

 

■ 「驕り」からの解放

今年4月で私も弁護士経験丸25年を迎えようとしています。

弁護士登録以来、ずっと取り組んできたのが、沖縄の嘉手納基地騒音差止め訴訟です。一次訴訟の途中から参加し、既に三次訴訟に入っています。

長年、嘉手納爆音差止め訴訟を通じて沖縄に関わってくると、あたかも自分が沖縄のことや、原告の気持ちをわかっているような気になってしまいます。

ところが、昨年、私は自分の頭を強く殴られるような衝撃を受けました。

それは、被告である国が「被害甘受論」を主張してきたことに、自分自身が何の反応もできなかったことです。

この「被害甘受論」とは、こういうことです。

「米軍機騒音の激しい地域には、移転補償費を提供して、移転を勧めている。にもかかわらず、移転を拒否して騒音地域にとどまっている原告は、騒音被害を甘受すべきである」

 

もともと嘉手納基地が建設された地域は、住民が住宅地・農地として所有・使用していた場所です。そこに、戦前日本が半ば強制的に土地を接収し「中飛行場」を建設、その後、沖縄上陸戦と戦後、米軍が「中飛行場」を占領し、さらにこれを拡大してできたのが、現在の嘉手納基地です。

嘉手納基地周辺に住む人達は、奪われた土地や元の故郷を求めて、嘉手納基地周辺に住んでいるのです。後から基地を建設し、そこで騒音をまき散らしているにもかかわらず、以前から住んでいる人に「うるさければ出ていけ。出て行かないなら我慢せよ」というのが国の「被害甘受論」の本質です。

これは全く許されない理屈です。沖縄の基地建設の経緯、そして基地周辺に住む人々の気持ちを理解していたならば、当然、「何を言ってるんだ!」と怒りを覚えたはずです。

ところが、私は、この「被害甘受論」を訴訟上の一主張として、読み流していました。しかも、この「被害甘受論」は、二次訴訟でもなされていた主張でした。

今回は、地元紙「琉球新報」の記者と、三次訴訟から加わってくれた沖縄の弁護士が気づいてくれたため、原告とともに反論と抗議を法廷で展開することができました。しかし、2度までもこの問題性を見過ごしてしまった自分を深く恥じました。「知っていると錯覚する」ことの恐ろしさを痛感しました。

「驕り」からの解放にむけて、歩まねばならないことに気付いたのです。

■ 「闘う」ことは美しきかな

昨年末に訪れた沖縄ヤンバルの辺野古と高江にも新たな発見と感動がありました。

深い山と森林、その裾に広がる青い海がある辺野古、様々な貴重な動物が棲み、木々の香りと清流に恵まれた高江。全てのいのちを生み、育んできた自然がありました。

昼食をとった高江の「カフェ山甌」では、穏やかな笑顔の奥さんと、人懐こい無邪気な子どもさんが迎えてくれ、木々と清流が放つ清々しいイオンを感じながら、美味しいチキンカレーをいただきました。

http://www.mco.ne.jp/~yamagame/hello/hello.html

ここの経営者ご夫婦は、高江ヘリパット建設に反対をしていますが、国は反対運動を潰すために、このご夫婦だけでなく、10歳の娘さんまでも「債務者」に仕立て上げ、妨害禁止の仮処分を提起してきました。

自分の人生と命をかけてでも、ヤンバルの自然と人を守るために座り込みと工事監視行動を続ける辺野古や高江の人たちの「魂」に感銘を受けつつ、その「魂」を「本土政治の理屈」で圧殺しようとする権力の横暴さに改めて怒りがふつふつと湧き上がることを禁じ得ませんでした。

「闘い」の渦中にあるのは、沖縄だけではありません。

ハンセン病回復者も、まさに「闘い」の渦中にあります。

人員削減計画により介護員・看護師不足にあるハンセン病療養所の在園者の方たちは、老後の安心どころか、人としての尊厳すらも奪われつつあります。在園者の平均年齢は82歳を超えるにもかかわらず、全国ハンセン病療養所入所者自治会協議会(全療協)は、この現状を打開すべく、ハンガーストライキを決議しました。命がけの抵抗をしなければ、自らの尊厳を守れないほど追い込まれているのです。

また、関西退所者原告団・いちょうの会も、医療・介護・生活といった社会の隅々まで、未だ根強く残る偏見差別をなくすために、自らのハンセン病歴を明らかにし、「語り部」となって啓発活動を続けています。偏見差別をなくすためには、偏見差別と闘うしかないのです。

しかし、その闘う姿は、闇夜に静かに燃える炎のように、美しく、そして、何よりも私に勇気を与えてくれます。

沖縄やハンセン病回復者に対する「同情」や「憐憫」という感情は、もはや誤りであることに気付かされます。

 

■ 己との闘いの年に

もし、弁護士生活を50年間続けることができるとすれば、丸25年を迎える今年は、ちょうど折り返し地点にあたるのでしょう。

25年の弁護士活動で積み上げてきた経験・実績には、それなりに自負があります。しかし、その自負が「驕り」や「惰性」になったとき、大切なものを見失い、惨めで寂しいものになってしまうのでしょう。

「知っていると錯覚する」過ちを犯さず、全ての人に「輝く魂」があることを忘れないことを、ホーキング博士の言葉は教えてくれたのでした。

今年は、新たに「己との闘い」の年としたいと決意しています。

 

2013年1月1日 弁護士 神谷誠人

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