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ヒューマン法律事務所 髙見秀一ブログ

あけましておめでとうございます。

2015年の新春を迎えました。みなさん、よいお年を迎えられましたでしょうか。

昨年は、長年担当してきた事件について、大阪高裁でうれしい無罪判決を依頼者が受けることができました。
検察官からの上告なく、無罪判決は確定し、依頼者はようやく雪冤することができました。
しかし、そのためには、6年2か月以上の年月がかかってしまいました。
とてもとても長い月日が経過してしまっていました。

この事件は、明らかに初動捜査が間違っていました。
そして被害児の司法解剖を担当した法医学者の鑑定が、あまりにもずさんでした。
検察官も、初動捜査の間違いを引きずったまま、 間違った起訴をしました。

起訴後になって、たくさんの臨床医や法医学者が証言しました。
検察官は、2回も訴因変更をしました。

そして地裁の裁判官は、間違った判決を言い渡してしまいました。
けれど、高裁の裁判官は、正しい判断をしてくれました。

間違った初動捜査と、ずさんな法医鑑定が、すべての出発点でした。

高裁の裁判体に感謝するとともに、
間違った初動捜査と、ずさんな法医鑑定に対する憤りは収まることはありません。

一歩間違っていれば(あるいは、高裁の別の部にこの事件が係属していれば)
私の依頼者は、雪冤することはできなかったかも知れないのです。

我々の仕事は、本当に人の人生を左右してしまう、責任重大な仕事です。

これからもそのことを肝に銘じながら、日々過ごしていかなければと思っています。

私には、今年もまた、これまた「無罪判決を受けなければならない」無実の依頼者がいます。
依頼者本人、一緒に担当している弁護人らとともに、頑張ってまいります。

今年もよろしくお願いいたします。

髙見秀一
 

 

うれしい報告!

2014(平成26)年4月30日(水曜日)午前10時。大阪高等裁判所1001号法廷。

「主文。一審判決を破棄する。被告人は無罪」

大阪高裁第2刑事部の横田信之裁判長の、無罪判決です。傍聴席からは、拍手と、うれし泣きする方のすすり泣きも聞こえてきました。一昨年の11月6日に、大阪地裁でとても残念な判決を受けてしまった私の依頼者が、無罪判決の言い渡しを受けることができました。

この事件は、おととし年末のブログにも書いた事件です。私にとって、最も気になっていた事件のうちの1つです。一審では私を含めて3名の弁護人態勢で弁護をしましたが、一審では無実の人を無罪にできなかったという自責の念で、私はその後長い間、へこんでいました。控訴審からは、さらに2名の弁護人に参加してもらい、5人で、ようやくもらうことができた無罪判決です。

1時間15分程度の判決の言い渡しが終わり、依頼者は自由の身になりました。無罪判決が言い渡されると、勾留状の効力がなくなるので、拘置所の職員から、手錠・腰縄をされることもなくなります。これまでの公判期日では、閉廷後、私の依頼者は手錠・腰縄をされて、法廷から出て行きましたが、今回は、閉廷後も、手錠・腰縄をされることはありません。判決宣告を終えた裁判官が退廷した後の法廷で、依頼者と直接握手をしました「よかったね!」。4人の弁護人とも握手を交わしました。傍聴席に来ておられた、依頼者のご両親とも握手をかわしました「ほんとうにお疲れさまでした。おめでとうございます」。
その後依頼者は拘置所に戻り、お昼過ぎに拘置所を出ることができました。
間違って逮捕・勾留され、起訴されてから、実に6年2か月以上が経過していました。

弁護人として、とにかくホッとしました。この方は、「無実」(やっていない人)なのです。だから、どうしても「無罪」の言い渡しを受けなければならない人なのです。刑事弁護人にとって、「無実の人に無罪の言い渡しを受けてもらうこと」は、最も大事な仕事の1つなのに、一審ではそれができず、ほんとうにへこんでいました。でも、やっと肩の荷がおりました。

判決確定まであと1週間と少しです。静かに待ちたいと思います。この判決が確定したら、ほんとうに肩の荷が降ろせると思います。

判決が確定しましたら、またご報告したいと思います。

 

新年あけましておめでとうございます

平成26年(2014年)を迎えました。

みなさんお元気にお過ごしでしょうか。

早いもので、私が弁護士になってから、今年で満24年を迎えることになります。ですから、今年は3回りめをむかえるわけです。

市大のロースクール卒業生と一緒に弁護人席に座る事件も、昨年で4件目になりました。教え子と一緒に法廷に立つというのは、また、身が引き締まるものです。

ひとつひとつの事件をお任せいただく度に、目の前の依頼者のために全力を尽くして頑張らなくては、と、肝に銘じて臨んでいます。

今年もまた、去年のようなうれしいご報告を、いくつかできるように、頑張りたいと思っています。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

平成26年(2014年)元旦           髙見秀一

 

とてもうれしいことがありました!

先週4月18日(木曜日)午前10時、高知地方裁判所第4号法廷。
私の依頼者が「主文 被告人らはいずれも無罪」の判決を受けることができました。

昨年秋から高知で担当していた事件についての判決が言い渡されました。

この事件は、ことの実態を裁判所に正しく理解してもらうことに力を注ぎました。

本当に裁判体に恵まれました。公平で、能力の高い裁判官ばかりでした。

裁判長は、若くして裁判長になった、とても頭のよい方でした。
私が言うのも変ですが、とてもよく勉強しているし、自分の頭で考えているし。
だから、訴訟指揮もてきぱきとし、自信にあふれていました。

右陪席も、これまた優秀な方でした。
鋭い補充尋問で、証人が答えに窮する場面が何回かありました。
冒頭陳述(担当したのは私ではありません)で、「本当はこういうことがあったのです」ということを
正しく伝えることができたからだと思います。

左陪席も、同じくでした。
あの裁判長と右陪席と合議体を組める幸運にめぐまれ
自由な発想で、するどい質問をしておられました。
それに、ほれぼれする声でした。

裁判体に感謝したいと思います。
裁判長と右陪席は4月に異動されていたので
被告人や弁護人や傍聴席の喜びの様子を
直接見ていただけなかったことが、残念ですが
きっと左陪席裁判官からお聞きになっていることでしょう。

その夜は、依頼者をこれまで支援し、応援してくださっていた方々と
おいしいお酒を飲みました。
あれだけたくさんの、うれしい顔に囲まれて
弁護団みんな、とても幸せでした。
弁護士冥利に尽きるというものでした。

刑事事件の弁護をしていますと
いつも砂をかむようなしんどい思いをすることばかりです。

「何でそんなことを依頼者から言われなあかんねん!」と
半分ノイローゼになりそうなこともあります。

けれど、今回は、一度もそういう思いをしたことがありませんでした。
いつも私たちの弁護活動を感謝してくれて、ますます「頑張らなくては!」と思っていました。

高知の弁護士さんたちも、みな、優秀で、誠実で、頑張る方ばかりでした。
私もその姿勢に見習い、頑張りました。苦しいときも、助けていただきました。
とてもよい役割を、分担させてもらったと思っています。

けれど、主文を聞くまでは、本当にどきどきでした。
何日か前からは、早く目が覚めてしまうし・・・・・。
宣告直前のカメラの撮影時に脈拍を数えていたら、110/分くらいになっていました。

主文を聞いたときは、本当にうれしかった~~。ほっとしました。

さあ、次は、
昨年11月6日に、とてもとても残念な地裁判決を受けてしまった大阪の事件について、
控訴趣意書の提出期限が待っています。
また、頑張らなくては!!

2013/4/23

新年あけましておめでとうございます。

新年あけましておめでとうございます。

新しい年を迎えました。いかがおすごしでしょうか。
京都はおだやかな新年の朝を迎えました。とても冷えていますが、新年の太陽が輝いています。

地球が誕生してどれだけの年月が経過しているのかよく知りませんが、とてつもなく長い長い日々が経過していると思いますが、どんな日であっても、翌日には必ず太陽が上ってきているはずです。私はそのなかのわずかわずかの一瞬に生きているのだとは思いますが、その一瞬でお会いできたことの意味をかみしめながら、またこの一年も過ごしたいと思います。

謹んで、年始のご挨拶を申し上げます。
(新年を迎えるに当たっての私の決意は、昨年末のブログをごらんいただければ幸いです。)

本年もよろしくお願い申し上げます。

2013年元旦の朝  高見秀一

2012年を振り返って、そして2013年を迎えるにあたって

寒い日々が続いています。みなさんお変わりありませんか。

2012年を振り返ってみると、平成20年から弁護してきた事件について、11月にとても残念な判決を受けてしまったことが、今は一番印象に残る出来事でした。
事件発生が平成20年2月で、3月に起訴され、その後公判前整理手続に付されました。その後相当長期間の公判前整理手続を経て、ようやくそれが終了することなり、公判期日も予定されていました。ところが、検察官の突然の訴因変更によって、公判前整理手続が再度やり直しになり、ようやく公判が開始されたのが平成22年3月でした。3月からの集中審理で、平成22年6月までに証人尋問などが終わり、その結果、裁判所が弁護人請求の(再)鑑定を採用してくれることになりました。
ところが東日本大震災の影響もあり、鑑定書の提出までに約1年が経過しました。その鑑定人の証言(平成23年12月。これが最後の証人でした)を受けて、検察官が今年の年初に再度の訴因変更を行い(検察官が起訴状で呈示した死因は、どこかに消えてしまいました)、裁判所がそれを許可しました。ところが結果的にはその後の弁護人の反証の機会が十分に与えられず、判決では、検察官の求刑通りの刑(有罪判決です)が言い渡されてしまいました。

弁護人として、もっとも自分の力のなさを実感させられるのは、「無実の人を救うことができなかった」場面です。自分としては相当のできであったと思い込んでいた弁論が、実は裁判所の共感を全く得られなかったということに、自分の力のなさを突きつけられ、長い間へこんでいました。
しかしこの事件は、これから控訴審になります。いつまでもへこんでいることはできません。無実の人を救うために、もう一度ねじを巻き直して、頑張らなければなりません。

 

また、2012年の秋から、四国で公判期日を行っている事件については、事件の本当の実態を裁判所に正しく認識してもらうために、2013年も力を尽くさなくてはなりません。

 

日弁連から推薦されて、2012年10月に法務省から任命された、法制審議会の刑事法部会(自動車運転に係る死傷事犯関係)での特別委員としての審議も、大変重いものです。交通事故で愛するご家族を亡くされたご遺族の方々のお話を聞くにつけ、朝「行ってきます」と元気に家を出た我が子が、変わり果てた姿で目の前に横たわっている状態に接した親御さんのお気持ちを思うと、本当に何とかしなければならないと思います。ただその一方、こういう悲惨な事故をなくす方策が、新しく構成要件を作ること以外の方法でできないものなのか、とも考えさせられます。
この部会の審議も、新年からは具体的な条文の案を練る作業となってきます。日弁連推薦委員として、そして弁護士として、そして子を持つ親として、どのように審議に臨むべきか、悩みはつきません。

みなさん、よいお年を迎えられ、またよい年でありますよう。
充実した一年を送るために、私もまた頑張ります。

 

 

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